【歴史】江ノ島の悲劇

皆さん、江ノ島の悲劇という単語を聞いたことはありますでしょうか。実は江ノ島は島の3分の1が埋立地となっており、もともとあった場所を消してしまうような工事が行われました。
ではなぜ江ノ島でそのような工事が起きてしまったのか、歴史を振り返ってみましょう。

江ノ島の歴史
江ノ島の悲劇とは
最後に

江ノ島の歴史

江ノ島のヨットハーバー

現在の江ノ島はデートスポット、観光スポットと全国的に神奈川のシンボルとなっておりますが、昔はどうだったのでしょうか。

約20000年前、片瀬の方と陸続きになっていた江ノ島ですが、沈降運動により片瀬側と離れ独立した島になります。
ここら辺は諸説あるのですが、一番有名な話を採用しております。1873年までの1000年間もの間、「金亀山与願寺」という寺院であり、神仏双方が祀られていました。そして1873年からは国家神道の「江島神社」となっている江ノ島の神仏となっております。

江ノ島が観光地として有名になった経緯としては、江戸時代に庶民層の自由な観光が禁じられていましたが、参詣という言い訳で江ノ島に観光する人が現れ始めました。そして江戸時代後期になると、神社参詣、景勝地を訪ねて名物料理を食すといったような観光としての庶民の動きが活発となり、その地として大山、江ノ島、鎌倉、金沢八景とったような観光ルートが出来上がり始めました。そして江戸時代に流行っていたのがあの近松門左衛門で有名な浮世絵であり、浮世絵に江ノ島の絵が描かれるようになりました。
そして明治維新後に観光業として売店、宿屋、食事処などの施設やインフラが整備し始められ、日本どころか海外からの観光客までも呼び寄せるような観光名所となりました。

江ノ島の悲劇とは

明治維新後に明治政府が成立すると、1873年に神仏分離令。それとともに廃仏毀釈運動が起き、「金亀山与願寺」であった江ノ島は三重塔や八臂弁財天を安置していた楼門など貴重な仏教施設が破壊もしくは廃棄され、今日の江ノ島の姿となりました。こうして、もともと霊場と呼ばれていた江ノ島は霊場がなくなりました。

これだけでは江ノ島の悲劇とは呼べません。(宗教上のことだし仕方ないと思う人も多い)
ではなぜ江ノ島の悲劇と呼ばれたのでしょうか。

それは1964年の東京オリンピックです。江ノ島は東京オリンピックのヨットの会場にするために島の面積を1.5倍にもする埋め立て開発が行われました。これによって1500年もの歴史がある霊場は無くなりました。

これにより、地元住民の間では江ノ島の悲劇だと語り継がれ、現在でもこの話は有名な話となっています。

最後に

いかがでしたでしょうか。歴史にまつわる話となると、少し知識が必要なのと、間違えてたりすることも多いので気づくたびに修正していきます。現在のデートスポット、観光スポットができたのは皮肉にもこの江ノ島の悲劇があったからだと私は思います。今後もこのようなブログを書いていきますので、期待しててください!